6月1日(水)『朝からつらい』『病院のクリニックに行った。私のうつっぽい状況を理解してもらえるか、不安で心配だったけれど、理解してもらえて安心した。今日も朝から疲れていた。真実を信じてもらえた安堵感で大泣きしてしまった。さて、今日も一歩前進できた。公式な記録も残すことができた。もし何かあっても、これで思い残すことはない。身体はしんどいけれども、一つ一つゆっくり進んでいければいい。今日は大きな一歩だった。頑張ったね。』これまで精神的な病にかかったことがなく、病院に行くまで、どこまで自分の話を信じてもらえるのかが、ものすごく不安だった。どんなにしんどいと訴えても、見た目は何の問題もないのだから、もし、仕事を休みたいだけの言い訳でしょう?なんて言われたら・・、という心配もしていた。担当してくださったナースプラクティショナーが親身になって話を聞いてくれ、信じてくれたことに、心底ホッとした。
6月2日(木)『お仕事お休みした。』『朝から心身ともにとてもつらかった。樺沢さんの言う、うつの症状に全てあてはまった。治そう。きれいに治そう。』『久しぶりに歩いた。樺沢さんのビデオで、うつには歩くことが大切と言っていたので、実行してみた。でも、とてもしんどかった。レモネードで水分を摂って休み、図書館によって、1時間半ほど休んだ。帰りも体がとても重たくて、きつかった・・。これでは、歩くことはとても難しい。以前、この距離を歩いたり、走ったりしていたのに、今はしんどい。私がどれだけの健康を失ってしまったのかを痛感した。5〜10分のウォーキングから始めてみよう。樺沢さんは、うつに抗って無理することが一番良くないと言っていた。流れに乗って、自然に任せて、ゆったりとすることが大切。』この日歩いた時に、泣きながら歩いていたのを鮮明に覚えている。体が鉛のように重かったのもあるけれど、健康を失ってしまった実感と、それから、ストレスに負けてしまった自分への情けなさ、全てが入り混じっていた。いつものように体を動かしているはずなのに、実際には足が思うように動いておらず、目も完全に開けないまま、体を引きずるように進み、かなり歩いたと思ったのに、ほんの数メールしか進んでいない状態。この時、精神的なダメージが身体に与える影響の大きさに、この上なく驚かされた。
ここに出てくる、「樺沢さん」というのは、精神科医で、執筆家、そしてYoutuberである、樺沢紫苑先生のことだ。おそらく、5月の末頃からだろうか、私は、うつに関する動画を多く見るようになっていた。後に、彼の本を読みながら、うつ病に関する知識を深めていくことになるのだが、彼の動画にはとても助けられた。うつに限らず、精力的に情報を発信されているので、樺沢先生の動画を参考にされることも良いだろう(樺沢紫苑の樺チャンネル)。
6月3日(金)『今日もお仕事をお休みした。今の病状を(親友の)パピ子とビス子にラインで知らせた。弟にも知らせた。弟がラインで電話をくれた。今度帰国するときに一緒に旅行に行こうと話した。他にも色々話した。楽しかった。』『IVF(体外受精のこと)の手続きが始まっているが、全てがプレッシャーに感じられてつらい。担当看護師にも私のメンタルコンディションのことを話したけれど、プロセスをやめてくれそうにない。今日は指示されたお薬を手に入れるための手続きとやり取りをした。ものすごくしんどい。そのお薬を取りに車を走らせなければならなかった。車の運転すら怖い。急に泣けてきたりと、感情がコントロールできない。』IVFは3年前から始める予定だったが、緊急の事情があり、延期していた。今回、ようやく全てが再び動き始めていた。それだけに、自分の事情を話して、もう一度プロセスを中断させることができなかった。また、診断前にそれを話すことは、時期尚早だと考えていた。この間、病院や薬局と電話でやり取りをすることが多かったのだが、私は一生懸命に伝えようとしているのに、うまく伝わらないことが多かった。話している最中、焦ったり、イライラしたり、やたらと早口になっていたり、流石に病院のナースは異変に気づき、私の現状について少しだけ話すことになった。この日、車を運転した時は、運転中に動悸が止まらず、何度かパニック発作を起こしそうになった。運転しながら泣いていた。
6月4日(土)『朝、眠たい。眠っているのに眠たい。友人から電話があって、11時ごろ起きた。体がだるい。眠たい。』携帯は枕元にあるのに、その電話に出るのもやっとだった。電話に出ても、意識もはっきりしないし、話すことだけでも大変な労力だった。そして、話し方はぼーっとしたような、はっきりとしない話し方。スピードは超スローであった。
6月5日(日)『起床とともに頭痛。』
6月6日(月)『朝がつらい。体が重たくて仕方ない。お仕事を休んだ。→ 病院のクリニックに連絡→ Dr. L.とWebで話す→ ドクターの指示に従い、勤務先に長期病欠を報告した。』『パピ子がラインをくれた』この辺になると、もう完全に仕事に行けるような状態ではなかった。
6月7日(火)『朝、体が重たい。9時間近く眠っているのに、まったくスッキリ感がない。日中は眠たくならないので、回復しているのかな?午後3時に近づくと、気力が上がってくる気がする。』『0925に起床したのに、1830にはとても眠たい。』
6月8日(水)『同僚からのテキストが届いた音で目が覚めた。0730前。疲れている。頭痛がする。起床から2時間してもスッキリせず。』
6月9日(木)『「重度うつ」と診断された。投薬開始。』『昨日から、精神疾患に関する本を1冊読んでいた。今日までに、この診断を受け入れる用意ができていたことは良かった。本当に心も体も苦しかったから、ようやくこれに診断名が付き、認めてもらえたことに安堵した。とりあえず、7月15日までお仕事をお休みする。やっと休むことができる。この間、無収入になる。切り抜けなければ。』『今日は朝7時半から歯医者のアポに始まり、1日忙しかったせいか、体調がMaxに悪かった。だるさ、頭痛に加え、目さえ開けることが難しかった。この状態での運転は危険だよね。』
6月10日(金)朝4時すぎに目覚めるも、眠気がぬぐえず、起きたり寝たりを繰り返し、ようやく13時過ぎにベッドから出た。14時からのEAPのアポがあるため。昨夜からの投薬のせいか?』『昨日から食欲が減退している。』『薬のせいか、あくびが止まらない。』『えみさんにうつであることをテキストで知らせた。』EAPとは、Employee Assistance Programの略で、職員を精神的にサポートするために、会社が無料カウンセリングが受けられるよう職員に提供している。今はオンラインでのカウンセリングがメイン。
6月11日(土)『あくびが止まらない。』『えみさんとお話しした。いろいろなことを話した。心配してくれていて、ありがたかった。お母さんみたいだな。あたたかい気持ちになった。』『日ハムが2連勝。10−1で中日に勝利。Big bossの導きによって、選手たちが楽しんでプレーをした結果の勝利。Big bossのように、みんなが楽しむことで良い結果を導ける人間になりたい。人々にも、自分にも、感動を与えられる生き方をしたいんだ。』
6月12日(日)『食欲低下。あくび止まらず。あごの辺りのお肌が極度に乾燥。昨夜は眠りにつけず。』『お仕事復帰まであと1ヶ月ある。人は見た目が9割ともいう。ガラッと変えたい。やる気にほんの少しだけ火がついたように思う。』
6月13日(月)『0点。メチャクチャ体がキツイ。うつってこんなにきついのね。一日中頭痛。考えられる原因は、1)外出して疲れたから、2)食欲が落ちているから、血糖値低下、3)Lexaproの服用時間が合わない。』『今日はLexaproを13時に飲んだ。1830までものすごくつらかった。その後もだるい。寝る前に飲むと眠れない。日中に飲むと苦しい。一体どうするべきなのよ!』樺沢先生の本を読んで、この日から、自分の状態を数値化することを始めた。この頃、座っていてもきつい、横になってもきつい、眠れもしない、起きて行動することもできない、というどうしようもない状態だった。
6月14日(火)『100点。スッキリ起床できた!もちろんあくびや多少の気だるさはあるけれど、できた!何ヶ月ぶりだろう。顔も洗えた!シーツをお洗濯できた!めちゃくちゃ嬉しい!!!お薬を朝に服用する方向でしばらくみていこう。朝食食べた!』『お散歩できた!前回とは打って変わり、一歩一歩力強く歩けた!今ならなんでもできるのではないか?!とさえ思えた。帰宅し、お料理をした!何ヶ月ぶりだろう?シャワーも気持ちよく浴びることができた。スッキリ!』
6月15日(水)『60点。Lexapro@0830。0930ごろお散歩に出かけたけれど、途中で引き返す。体がだるい。外が暑すぎる(31℃)。それでも1043帰宅なので、1時間以上歩いた。』『昨夜は度々目覚めたので、よく睡眠が取れた、という感じはない。でも、7時にはベッドから起き上がることができた!顔も洗えた!』この頃、顔を洗うことさえ、本当に苦痛だった。外出しないで済む日は、顔を洗うこともしなかった。
6月16日(木)『65点。朝7時前から0915まで歩いた!でも、今日は結構キツかったな。』『初 IOP セッション。う〜ん。グループ(8人)の話を一人ずつ聞きながら、リーダーが受け答えをするって形。ちょっと効率悪いと思う。1対1のカウンセリングの方がいいと思う。確かにグループでいると心強い感はあるけどね。セッション後は疲れて、お昼寝。その後も疲れ気味。歩く距離が長過ぎるのかな?』IOPとは、Intensive Outpatient Treatment Programsの略で、グループセラピーのこと。月曜から金曜まで、0930−1230の3時間、インターネット上でグループカウンセリングを受ける。私には、この時間がもったいない、と思えた。その分、読書や運動にでも時間を当てた方が有益なのではないか、と思えたので、それをそのまま担当医師とグループのリーダーに伝え、ここからしばらく参加しなかった。が、その後、参加することになる。
6月17日(金)『20点。今朝はだるい。太陽にあたりに歩きに出たけれど、10分が限界だった。やっぱりまだ体力が戻っていないのだな。』『20時すぎ、ようやく体が動くようになってきた😞。』『急に甘いものが食べたくなり、冷凍庫に入っていたいただきもののピーカンパイを3切れ食べた。しかも、食欲も変で、朝食べられそうなものがラーメンだけだったので、インスタントラーメンを作って食べた。』食べられそうなものが、その瞬間瞬間で違うのだ。普段インスタントラーメンなど食べず、緊急用に置いてあったラーメンを食べることになった。
6月18日(土)『15点。起きて、寝ての繰り返し。また元に戻ってしまったよう😞。本を読むだけの集中力もなし。外を歩くだけの気力もない。なんなのかな・・。一日中だらだら過ごす自分に焦りを感じる。でも、これで良いのらしい。今は、体と脳を休める大切な時間。ゆっくり、ゆったりしよう。マイペースだよ。』『何もしたくない、誰とも会いたくない、外に出たくない。家に何も食材がないけれど、外に出たくない。』『➕朝6時ごろに目が覚める。➕泣かないようになった。』
6月19日(日)『15点。眠い、眠い、眠い!今1650。この時点ですでに数回お昼寝している。何なのだろう・・。特に何かをしたいと意欲も湧かず・・。本は読みたいものもたくさんあって、手の届くところに置いてある。学校のお勉強だってしたい。なのに体が動かない。泣きたい・・。』私は週4勤務で、毎週水曜がお休みだった。その日に、学校に通い、エステのお勉強をしていた。首と腰の怪我と職場のスタッフ不足のために、前年10月から休学していた。
6月20日(月)『20点。ドクターアポイントメントx2+食材の買い出しで疲れた・・。でも、前回より運転することが楽になった気がした。新しいお薬を出された。まだ、うつのスコアが高い。お薬の効果が出るのに、短くて14日かかるのだって(14〜30日)。』
6月21日(火)『20点。やっぱり周りの人に、うつを理解してもらうのは非常に困難。「今日は何をするの?」「昨日は何をしたの?」こういう言葉が、今の私にはとても負担になる。体の動かない自分がとても怠け者に感じられて、苦しくなる。しかし、本やビデオで、うつに対する学びを深めるうち、体が動かないのは、普通のことであることを知った。大切なことは、焦らないこと。今は体と心と脳をしっかり休めることが一番。自然と回復するうちに、いろんなことをする意欲がだんだん湧いてくるそうだ。しかし、一番寄り添ってもらいたい友人にこれを理解してもらうには、どうしたらいいのだろう。悲しくなっちゃう。』距離的に一番身近にいた友人(マーブル)の考え方は、無理をしてでも仕事をすれば、体がそのうちついてくる、というもの。そして、体が動かないのは、私が自分を病気だと思い込んでいるから、だという。励ましてくれるマーブルの気持ち、そして、それが思いやりから来ていることも理解できていたが、体を動かしたくても動かせない苦しさが分かってもらえなくて、ただただ苦しかった。1冊でいいから、うつに関する本を読んでほしい、とお願いした。
6月22日(水)『5点。今日は久々に泣いた。何もやる気がなくて、でも周りからは何かしろと言われる。実際1日ほぼ何もしない日が続いている。昨日はほぼ眠れなかったせいか、一日中ぼーっとしていて、起きたり、寝たりの繰り返し。何のために生きているのかな・・?明日はどんな日になるのだろう・・?いつか元気になれるのだろうか?いつもやる気でいっぱいだった私はどこへ行っちゃったの?ばかみたいに笑ってばかりだって言われていた私に戻りたい。早く魅力いっぱいの私に戻りたい。』
6月23日(木)『90点。歩けたーーーーーーーーーーーー!!!やったーーーーーー!!!』『歩いた帰りに郵便受けを久しぶりに見たら、たくさんの郵便物の中に、大きな封筒と小包があった。封筒は、2009年の卒業式の写真。小包は、パピ子から。お米やら炊き込みご飯のもとやら、すぐに食べられるものをたくさん送ってくれた。今まで受け取った小包の中で、一番嬉しかったかも。メッセージを読んで、涙が出てきちゃった。』パピ子の優しさが、本当に嬉しかった。同時に、私はこれまで、彼女を友人としてしっかり支えてこれただろうか、と心から反省した。パピ子の優しさを受けて、私は今まで仕事ばかりで、パピ子ほど彼女や他の友人を思いやっていなかったように思えて、とても胸が痛んだ。
6月24日(金)『90点。えみさんと話した。ありがたい。お母さんのようだ。超パワフル。』えみさんにもたくさん支えてもらった。心配して、度々電話をくれた。えみさんは、この時から、同じ職場に戻ってはいけない、と私に言っていた。その時の私は、そんなことできない、絶対に戻るんだ、なんて考えていた。
6月25日(土)『95点。ウォーキング3日目!少し疲れていたので、図書館で休憩した。左の腰が朝から痛み、睡眠時にかけて痛みが増す。36℃の中歩くのは危険かも。』
6月26日(日)『30点。昨夜眠れず、入眠困難と中途覚醒あり。起床時の疲労感↑。足元もふらつく。一日中あくび止まらず。ウォーキング行かなかった。』『IVF始める意思を病院に伝えた。次生理が始まるのは1−3日以内。会いたいよ、私の赤ちゃん!』
6月27日(月)『15点。0420頃目が覚めた。6時過ぎにベッドから出た!』
6月28日(火)『朝から疲労感↑。EAPのアポイントメントをすっかり忘れていた。うつのせい?アポイントメントを忘れたことなんて、今まで一度もなかったのに・・。』『歩いた。野菜炒めとラーメンを作って食べた。唯一食べられそうなものが、それだけだった。お野菜がたまらなくおいしかった。本を読む集中力もない。』日常生活でも、物忘れが徐々に顕著になっていく。
6月29日(水)『10点。何で起床時からこんなにだるいの?結局お昼過ぎまでベッドから起き上がれなかった。めまいと疲労感。食欲なしでダウン。生理前でホルモンが崩れているのかな。』『13時ごろにベッドから出ることができた。家でできることをこなした。』具合が悪い中でも、何とか時間を無駄にしないように、と少しでも体力があれば、動いていた。
6月30日(木)『100点。朝からとても気分がよい!パン屋さんでパンを買い、食材も買い込んだ。帰宅すると、やはり疲れて眠くなったけれど、やることが多くて眠れず。』