5月1日(日)『とにかく体が疲れてる。本日もオンコール(セカンド)。でも、外に出ないと、息が詰まりそうだったので、SeiwaとWhole Foodsに行ってきた。どうしても、Seiwaのお惣菜が食べたかった。大量に食料を買い込んだよ。今日もお料理はしない。ご飯を炊くのみ!これでいい。今日はとにかく早くベッドに入って体を休めるのよ!小さなチーズケーキとエクレアを買った。今年初。少し甘いものも食べても良いのだ、とこの間病院で言われたので、買いました。』
5月3日(火)『また心臓移植にあたった。』
5月4日(水)『あまりに疲れすぎて、15時過ぎにベッドに入った。EAPのOOに助けを求めた。19時ごろ目が覚めた。まだまだ疲れていたけれど、誰かと話すだけの体力も、YouTubeを見るだけの気力もなかったけれど、なんとか本だけは読めた。』
5月5日(木)『今日は久しぶりに定時で帰れた!』『どうやらJが言いがかりをつけ、職場で私に関する変な噂を流しているようだ。』
5月6日(金)『体調が悪い。生理。昨日は少量、今日はかなり多めの出血。お腹と腰が痛い(8/10 ←ペインスコア)。』『最近、かなり強いストレスに毎日のようにさらされているから、自分の健康がものすごく不安。なので、病院のクリニックにかかった。→ 緊急腹部レントゲン、腹部と骨盤の超音波を受けた。大丈夫だろうか?→ レントゲンで、上行結腸から直腸までの便秘がわかった(正式な結果が出たわけではないが、レントゲン撮影後に技師さんに写真を見せてもらって、自分で確認した)。→帰宅後、薬を使って排便したけれど、すっきりしない。明日、明後日と、また薬を使って腸をきれいにしよう。体から毒を出さなくては。』膣出血が1ヶ月近く続いた。
<5月7日〜11日 記載なし>
5月12日(木)『Jが他の同僚とつるむようになり、グループでの嫌がらせが始まる。一人でラウンジで休んでいると、二人が同じ部屋に入ってきて、必要以上に大声で話し、Curse wordを連発する。いやでも耳に入る。聞いていて、ものすごく不愉快。』
5月13日(金)『今日もJからの嫌がらせを受ける <その後、具体的にされたことが書いてある>。』『今日も心臓移植にあたっていたが、あまりにも連続して移植のケースに当たりすぎているので、マネージャーがアサイントメントを変えてくれた。』
5月14日(土)『なんと今日は肺移植にあたった。移植の神様に追いかけられているようだ。1250ごろ職場につき、16時から始まるケースの準備を開始した。準備はうまく行った。けれど、(別部署で用意される、手術のための)カートの中身(手術に使う器具)がきちんと揃っていなかったので、ギリギリに。患者さんの部屋に着いたのは、1559。それから、コンセントが完成していなくて、また遅れた。さらにドクターから、無理な指示。私はその指示は間違っていると思う。結局、移植で使う臓器を取り出すために時間がかかったので、3時間押した。→手術の途中、ペアで働いていた先輩の機嫌が悪くなる。わざとらしく、意地の悪いことをされる。いつものことだけれど。→一晩中働き、移植の患者さんをICUに送った直後、フェローから、この後別の手術をすると言われた。→先輩にそれを伝えると、激怒。セカンドコールのスタッフを呼ぶか聞くと、先輩は、今から来たって遅い、という。その通り。なら、なぜ怒る必要があるのか。私には理解できない。その後、その先輩が私の悪口をお掃除のスタッフM.とJ.の先輩のD.に話していたことが聞こえてきた。私が部屋に入ると、ピタッと会話を止めた。先輩のいつものやり方だけれど、何とも幼稚でわかりやすい。その後、掃除をしていた二人のスタッフは、私に一切声をかけなくなる。明かな嫌がらせも始まった。部屋での会話もない。→結局、片付けをしている最中にフェローから連絡があり、追加のケースは終わったので、帰宅しても良いと連絡があった。それを先輩にテキストで伝える。後になって、先輩が、笑顔を作って私に話しかけてきた。白々しい。文句があるのなら、直接言ってきてほしい。何か直してほしいことがあるなら、本人に言わなきゃ伝わるわけないじゃない。やり方がまったく建設的じゃない。』
5月21日(土)『火事になりかけた。』
5月24日(火)『体も心もとても重い。全てに対してネガティブだ。うつなのかな?こわいよ。』
5月26日(木)『移植のケース以来、初めてDが話しかけてきた(J.の先輩。この間、D.からもずっと嫌がらせをされていた。)。ふざけるな!』『私のメンタル、とうとうひどくなってきた。Cignaのホットラインに電話をかけた。』
5月27日(金)『D.が謝ってきた。私が精神科にかかるのを聞いて、まずいと思ったのかな(D.は同じような嫌がらせを他の人にもしているため、過去にも上司に苦情が上がっている)。』
5月29日(日)『今日は精神状態良好!本が読めるようになった。』
その後も、勤務中に、心臓発作が起こったのではないか、と思うほどの胸の痛みを感じたり、その場には入れないような突然の不安感に襲われたりした。精神的におかしいと思い、マネージャーに、クリニックに行きたい、と申し出るが、手術のスケジュールが詰まっているため、却下。それから、半ばパニックに陥ってしまい、今すぐ帰宅したいと申し出たりもした。もちろん、その願いも通ることはなく、その状態で働き続けた。また、休むこともできないため、毎日重たい体を引きずるようにして、出勤したことを鮮明に覚えている。
決定的だったのは、手術中に、記憶を失ったことだった。心臓の手術には、Homograft(移植片)がよく使われる。それは、冷凍保存されており、使用する際は、製造元の指示に従って解凍して使う。Homograftは頻繁に使われるので、その解凍手順は頭に入っていた。必要物品、量、温度、時間。全てが迅速に、且つ正確に行われなければならない。しかし、その時、解凍の方法だけでなく、必要物品さえ思い出せなくなっていた。頭が真っ白で、本当に何にもわからないのだ。私は、その現実にものすごく怖くなって、チームの誰にもそれを悟られないように、部屋の中の指示書が貼られているところまで行き、指示を読んで、ことなきを得た。恐怖だった。体が震えた。
そのケースの後から、さらに自分の状態が良くないと感じた。今の状態ままナースとして働き続けることは、間違いなく危険だ。絶対に患者さんに何かあってはいけない。私が一つでもミスをしたら、患者さんの命に関わる可能性も大きい。そして、もし事故を起こしでもしたら、私の看護資格は即座に剥奪されるだろう。
毎日あまりにも疲れが酷すぎて、「ああ、このまま死んでしまうんだろうな。」と本気で思っていた。そのことも、EAPのカウンセラーに話していた。けれど、まだ微かにエネルギーが残っていて、「このまま何も残さないまま死にたくない」とも思った。「何か記録に残さなければ。自分の死を無駄にしたくない。」との強い思いに駆られて、必死だった。カウンセラーに、もし私に何かあった場合、今までのカウンセリングの記録を公開してもらえるか、伺った。答えはノーだった。EAPは公式なカウンセリングではないため、記録が残っていないとのこと。もし記録を残したいのであれば、精神科にかかるしかないと言われた。精神科にかかることを決意した。どうして死に至ったのかを公式記録に残し、私の死後、それが職場に報告され、マネージメント層が現場の状況を把握し、後に活かされることになれば、もう悔いはないと思った。
もうとっくに限界を超えていた。
<5月31日 日記には何も書かれていないが、この日が私の最後の勤務になった。>
<5月オンコール:13回>