9月中旬、ちょうどリンパマッサージのお勉強を始めようかという頃、ある白人女性と出会った。
彼女の名前はクリスティー。
サフィーと一緒に、いつものようにアパートの裏庭でお散歩をしていると、向こうから可愛いけれど、かなり太ったバセッド・ハウンドを連れた女性がこちらに近づいてきた。
『あら?見かけない人だなぁ。新しく引っ越してきた人かしら??』
なんて思っていると、彼女から自己紹介が始まり、ノンストップで話し出した。
『おおおおっ・・・。なんだこの人は・・。でも面白いかも。』
ここ数年、積極的に人付き合いを避けてきた私は、彼女のノンストップ・マシンガントークに圧倒された😅
何やら、20歳になる息子さんのがん治療をMD アンダーソンでするために、他州からご夫婦で引っ越されてきたとのこと。
(私の住むアパートは、MDアンダーソンにとても近いことから、治療目的で引っ越してくる人が結構いるのだ。)
クリスティーは、私より4つほど年上で、歳も近い。
私が話をしなくても、彼女がずっと喋っていてくれるので、気楽だったし、バリアーの感じられない人で、一緒にいてもほとんど緊張することもなかった。
クリスティーのお義母さんが、ベトナム出身ということもあるせいか、人種や言葉、他文化にとても寛容な人だという印象も受けた。
私たちが話している間、クリスティーの愛犬・チャーリー(メス)とサフィーはかなり仲良くなっていた。
その日は久しぶりに誰かと長く話したということもあって、私はどっと疲れてしまったのだけれど、きっとこれも社会復帰に向けて良い練習の機会なのだと思った。
『神様はうまいことやってくれるわ。私みたいな人間は、クリスティーのような人からガンガン来られない限り、誰かに心を開くことなんてなかったのだろうな。』
今振り返ると、そんな風に思えてならない。
後日、お散歩のときに、また彼女と会うことがあり、犬同士がとても仲良くなったことから、電話番号を交換して、一緒にお散歩をさせようというお誘いを受けた。
以来、ほぼ毎日、サフィーとお散歩のときは、クリスティーとチャーリーが一緒だった。
クリスティーは、毎日のように、今日の出来事や、息子さんの様子を話してくれた。
時々、アパートの裏庭の芝生に、2人で座って話し込んだりもした。
その頃、癌を患っていた息子さんは、アパートで療養していて、病院に通院することが多かった。
クリスティーも、彼女の夫であるヴァンも、毎日献身的に息子さんの看護に当たっていた。
いつも気丈にマシンガントークをしてくれるクリスティーだけれど、どんどん変わっていく息子さんの姿や苦しんでいる様子に我慢しきれなくて、私の前で泣き崩れることが何度かあった。
何か声をかけようにも、私には気の利いた言葉なんか見つからなくて、彼女を抱きしめることが精一杯だった。
『私と歳がほとんど変わらない彼女。自分の産んだ子どもを失ってしまうかもしれないという恐怖と常に戦っているのだよな。どんなに心が押し潰される思いなのだろう。。』
そんなことを思って、私も胸が張り裂けそうだった。
彼女たちのために何かできることはないか、と考え、申し出もしたけれど、私がすぐにできることは、彼女の話を聞くことかな、と考えた。
だから、クリスティーと会ったときには、彼女が話したいことを話したいだけ吐き出してもらい、私は聞くことに徹したんだ。
そうこうしているうちに、チャーリーのお誕生日があって、サフィーのお誕生日が来て・・。
いろんなイベントを共有していくにつれて、私たちはどんどん仲良くなっていった。
チャーリーとサフィーも耳を噛み合って、笑っちゃうくらいちょっかいを出し合うほど、近しい友達になっていった。
『あぁ。近くに仲の良い友人がいるっていうのもいいものだなぁ・・。』
『息子さんが退院したら、また他州にある自宅に帰ってしまうということだけれど、彼女がいうには、来年の3月ぐらいまではここにいるっていうことだし、サンクスギビング(感謝祭)もクリスマスも、お正月も、今年はちょっと賑やかになりそう。サフィーもチャーリーと過ごせるし、よかった。』
クリスティーのお部屋にサフィーと私は何度かお邪魔させてもらった。
私がご近所の美味しいピザを買い込んで、2人でピザパーティーをしたり、プレゼントをしあったり、私たちも犬たちも、もっともっと距離を縮めていった。
これから先も、しばらくこんな時間が続くのかなぁ・・と思っていたんだ。