アメリカ日常生活 ナースのお仕事 燃え尽き症候群・重度うつ病

【アフター・鬱】モエ子の再就職

本日のヒューストンは、雲ひとつない晴天が広がっている。

まだまだ30度を超える日が続くものの、空は高くなり、風も少しずつ涼しくなって、ヒューストンなりの秋らしさを深めているところだ。

昨日に引き続き、モエ子はサフィーと一緒に休日をの〜んびりと過ごしている。

さて、ブログを再開するにあたって、のちのちブログをお休みした2023年12月あたりから現在起こったことについて書くことにするけれど、とりあえず近況報告から入っていこうかしら。

結果から言うと、私は今年の2月頭からナースに戻った。病院の一般手術室のナースである。

戻りたくて戻ったわけではなくて、約2年半、重度鬱病を患って家で療養している間にすっかり貯金も尽きてしまい、翌月のお家賃や光熱費も怪しくなってきたので、仕方なく働き出したと言うわけだ。

2025年1月、うつの症状はだいぶ良くなってはいたけれど、まだ波があった。身体の調子は完全ではなかったし、1日の中で体を休めることも多々あった。復帰できる自信なんて全くない。

でも、経済的理由から意を決して、お仕事に応募することにした。

『できればあまり人と関わらないお仕事、楽なお仕事、ナース以外のお仕事、とにかく健康な生活リズムを維持できるお仕事』

そんな希望を持ちながら、就職活動を始めた。

『もう運に任せよう。もはや貯金もないし、一番最初に来たお仕事に就こう。』

ご近所のフィリピン出身のナース友達は再就職に3−4ヶ月かかったと言っていたから、かなりの覚悟決めた。

いろんな職種に応募した。

思い切り職種を変えて、エステティシャンやリンパマッサージのお仕事にも応募。面接まで行くものの、まず経歴でダメ出しをくらう。

『オーバークオリファイ(overqualify)』

そんな言葉を聞いたことがあるだろうか。日本語にすれば、『資格過剰』

今まで自分が努力して培ってきた経験が仇になるんだ。

実は以前もこれで落とされたことがあった。以前本屋さんで働きたくて応募したところ、同じように言われた。『では、お金はいらないから、ボランティアで!』って頼んだけれど、大きな本屋さんだったし、それは規定上できないとの説明だった。

大体、会社がしっかりすればするほど、学歴が上がるごとに収入も上がるように設定されている。つまり、雇用側は経験のない人なのに、学歴が高いだけで、他の従業員より高いお金を払うことになる。

で、蹴られるってわけ。

よく、『もしナースのお仕事ができなくなっても、永住権を持っていればいくらでも働けるところはあるでしょ?』なんていう人がいるけれど、現実はそんなに甘くない

では、定時で帰宅できて、オンコールもなく、病院勤務より比較的楽そうなドクターのオフィスで働くナースのお仕事はどうかと応募。

それもダメだった。時給の希望を聞かれて、今までの時給を基準に正直に希望を伝えたら、見るも無惨に散った。

『だったら希望なんて聞かないでよ・・』と思ってしまう。

後々知ったのだけれど、スパのお仕事より時給が低くて腰を抜かした。

でも、そもそも、エステティシャンのお仕事もオフィスナースのお仕事も、思ったよりずっと時給が安くて、1人で犬を抱えて生活していけるようなお仕事ではなかったんだ。

例えば、手術室ナースのお仕事が決まって、お仕事が始まる前の2週間、実はエステティシャンとして、スパで働いた。いつもお弁当を用意して行っていたのだけれど、その日たまたま家に置き忘れてしまって、下のサンドイッチ屋さんにお昼を買いに行った時のこと。

サンドイッチ半分とサラダ半分のセット、カフェラテをオーダーしたところ、スパで働いてた時給を優に上回ったんだよ😭

『1時間働いても、このランチさえ払えないんだ・・』って愕然としたことを今でも強烈に覚えている。。

また、固定費を下げるために引っ越しも考えたけれど、そもそもそれも無理だった。アメリカの多くのアパートでは、3ヶ月以上の給料明細の証明がないとアパートを借りることができないため、無職の私にはその選択肢はない。一番大きな固定費であるお家賃さえ落とすことができなかった。

そういうお仕事は、結婚して配偶者も働いていたり、まだ家族と暮らしている人たちが中心に就いているお仕事なんだ、とまざまざと現実を見せつけられた。

モエ子、この就職活動で初めて『あぁ〜、結婚しておくメリットはこんなとこにあったのか・・』と思い知ったのである。

そんな中、他に応募していた病院からメールが入った。

ナースのお仕事だった。勤務先は、病院の中の手術室。

レジュメを送信して、わずか1日。速かった。。

そりゃそうよね。

レジュメには大きな病院の名前と華々しいナースとしての経歴が書いてあるのだもの。そこには燃え尽きてボロボロになった私の姿なんて、捉えることはできない。

正直、ナースのお仕事はしたくなかった。でも、四の五の言っている状況ではないことも重々承知だ。サフィーと私の明日の生活がかかっている。

リクルーターの話を聞いてみると、集中治療室、病棟、オペ室と好きなところを選んでいいと選択肢をくれた。でも、その病院で今一番私を欲しがっているのはオペ室だと言うので、オペ室を選んだ。

しかし、全く同じ時期に、結構名の知れたスパからもエステティシャンとしてのオファーをいただいた(さっき話に出てきたスパね)。

返事に困って、病院側にオファーのお返事を数日待っていただくことにしたら、なんと病院側が条件付きのボーナスまでくれることになったのだ。

病院側の本気度が見えた瞬間だった。非常にありがたかった。

この病院の面接は計4回もあって、1回目はリクルーターと電話インタビュー

2回目は、シャドーという名目で、チームメンバーと初顔合わせ。オファーを受けた側が、実際にどんな病院で、どんな人が働いているのかをみる、ってことなのだけれど、これって「チームメンバーにこの人にオファーをかけてますけど、この人がメンバーになっても良いですか??」って見せているのだよね。(その証拠に、これが終わった後に実際に主要チームメンバーにどうだったか意見を聞いている。後々知った話だけれど。)

で、それを突破すると、マネージャーとディレクターと実際に会ってインタビュー。これが3回目。

そして最後は、その上のお偉い方とオンラインでインタビュー

前職で燃え尽きたことも、2年半のブランクがあることも、全部正直に話した。

それから、身体に不調なサインが出たら、即刻お仕事を辞める心づもりでいることも伝えた。(これで落とすのなら、今落としてくれ〜!って気持ちで!)

なのに、全てのインタビューを短期間でトントンと終えて、お仕事はすんなり決まった。

『その他の業種の就職活動はことごとく惨敗したのに、やっぱりナースのお仕事だとこんなにすんなり決まっちゃうんだぁ。。』

応募してから、2週間弱。全てが決まった。

とてもありがたく思う反面、内心は複雑な気持ちだった。

こんな私でも取ってくれるんだ、という驚きと感謝。2週間後には収入が入っていくる、という安堵。こんな身体の調子ではせっかく雇ってくれたのにすぐに辞めてしまう結果に終わるのではないか、という不安。ナースにだけは戻りたくないと思っていたのに、という葛藤。またあの恐ろしい鬱と戦った生活に戻ってしまうのではないかという、恐怖

あれだけナースとして病院にだけは戻りたくないと強く願っていた私が、結局また病院に戻ることになった。強烈な皮肉だ

そんな気持ちを抱えたまま、心をどこかに置いてきたような状態だったけれど、就職に必要なコンピューターワークやら、予防接種やらの準備を淡々と済ませていった。

オリエンテーション数日前、病院のヒューマンリソースで、社員証の写真撮影があってね、写真を撮る前に髪やメイクを整える時間をくれるのだけれど、

『3日続くかな?1週間続いたら万々歳だ。今度はキツくなったらすぐにやめよう。』

なんて考えていたから、髪も服も整えず、メイクなんて落ちていてほぼすっぴんのまま、写真撮影に臨んだんだよ。

そんなブッサイクな顔写真の載った社員証を胸に着けながら、この8ヶ月間勤務してきたってわけ😆

そこにはいろいろな人間模様があって、アメリカではあるあるだと思うのだけれど、色々な嫌がらせもあった。

途中、足を引っ掛けられて、腰を痛めたり、嫌がらせで精神的に不要なストレスがかかることもあって、これはもう辞めないと健康に被害を及ぼすか??と何度も思った。

でも、できるだけ手を抜きながらなんとかやり抜いた。そして、嫌がらせと言ったって、今まで経験してきたことと比べたら、子どもが駄々をこねくり回しているようなレベルだったんだ。邪魔くさいし、精神的な負担にはなるけどね。

ただ救いだったのは、今のリーダーたちがとにかく素晴らしくて、しっかり話を聞いてくれたり、時には盾になって環境を改善してくれたりもした。

また、その他多くのチームメンバーも非常に良かった。

チームの構成は病院によって本当に差があるのだけれど、今の病院では、人種が見事に混合されているの。結構珍しいのではないのかな。

アジア人も、白人、黒人も、メキシカンも、ちょうど同じような塩梅で、それはスタッフからリーダーに至るまで、そんな感じなのだ。

今まで勤務してきた病院はレベルIの大きな病院だったのだけれど、それと比べると規模が小さい。

どうなのかしら?と思っていたけれど、良い意味でも悪い意味でも『ゆるい』というのが一番ピッタリくる職場だと思う。

あまりの違いに戸惑うこともあったけれど、病み上がりの私にはちょうどいいのかな。

現在モエ子は、まだこの病院のやり方に完全に慣れたわけではないけれど、新人ナースの指導を任せられるようになり、ゆるりとナースのお仕事をしている。

与えられたものに感謝と幸せを感じつつ、サフィーと仲良く生きてますよ〜。

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【余談】

就職してから半年ほど経ったある日、たまたま廊下でディレクターと会って話している途中でこんなことを聞かされた。

『あなたが就職した時、実は他に9人の候補者がいたのよ。』

絶句だった。

『ナースはブランクがあっても再就職は簡単なんだ』なんて、大間違い。

ただただラッキーなだけでした⭐️

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